30日間ダイエットチャレンジしてみました

低糖質ダイエットとヨガでどれだけお腹痩せできる?

ヨガの流派を水に例えると・・・

ヨガの流派はたくさんあって、みんな混乱する。「どう違うの?」とか、「どれを選んだらいいの?」とか・・・。 今日、いろんなサットサン(聖者との交流、瞑想会)で知り合った、イギリス人の女の子と ヨガの流派について、話していた。 しかし、私はそもそも、ヨガを流派に分けると言う感覚に違和感を感じる、と言ったのだが、伝わったかどうか・・・。 家に帰って考えていたら、水に例えるとわかりやすいかなと思った。 昔、昔、人々は、みんな自然が育んでくれた水を好きに飲んでいて、それが何の水だとか、名前は何も無かった。でも、現代になって、水をボトルにつめて、「これは〇〇水です」と名前をつけて、ラベルを貼ったり、「こっちの水より、〇〇な特徴があります」といって比較して優劣を強調したりするようになった。 これをヨガに置き換えると、元々は、古代の人たちが、天から得た知恵を元に、やっていたことを、後々、人々が 「これは何ですか?何をやってるんですか?」 「さて、何でしょうね?別々になってしまった小さな私(小宇宙)と大きな私(大宇宙)を結びつける、 自分の内側に存在する神と至高の神をひとつにする、 まあ、“ヨガ”(サンスクリット語で結ぶという意味のユジュから派生)と呼ぶことにしましょうか?」 「へ~、ヨガというんですね」 となって、そしてまた、後世になり、教えの特徴によって、 「私のこのやり方の方が、あっちより、もっといい!」 「いや、私のやり方の方が正しい!」 と自分の方法を主張するようになり、 アシュタンガヨガとか、アイアンガーヨガとか名前がつくようになったんだろうな~と想像している。 だから、「私は〇〇ヨガの流派をやっています」というようになったのと、「私は〇〇水を飲んでいます」というのと似ているんじゃないかなという気がする。 以前、「私は何派にも属していない」と不安がって、「自分の流派を探したい」という人にも会ったことがある。 自分が何の水を飲んでいるのかわかっていないと不安なのかもしれない。 そして、ボトルの形や名前などのラベルが気になって、他のブランドの水が気に入らなくなったりする。 しかし、水は水なのだ。何のために水を飲むのか。喉をうるおせれば、何のブランドだっていいんじゃないのかな? そもそも、天からの恵みの水を“分けて”、売るところに私は違和感を感じてショウガナイ。 分けてラベルを貼ることをしたくないので、自分のやっているヨガにも、何流かを聞かれるととても返答に困る。 名と形のない領域へ、超越していこうとしているのに、そのずっと手前で、名と形のある所で足をひっかけたくないのだ。 私は、目的さえ見失わなければ、何のヨガでもいいと思っている。 しかし、多くの人は本当の目的の方を見失って、重要でないことにばかり気をとらわれすぎるのだ。